式内 大羽神社(長浜市酢)
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概 要
社 号 大羽神社
読 み おおばじんじゃ
式内社 近江国淺井郡 大羽神社
別 名 江戸時代は「建部大明神」
所在地 滋賀県長浜市酢110
御祭神 主祭神
御神紋 左三ツ巴
例祭日 4月13日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
淺井郡 46座 大1座 小45座
近代社格制度 旧村社
創建 崇神天皇の世に勧請
本殿様式 一間社流造
拝殿様式 入母屋造 間口二間三尺 奥行二間
境内摂末社(祭神)
なし
一口メモ
県道273号線をコメリの西に細い参道が神社までのびる。神社に駐車場がなく進入禁止なら困ると思いながら鳥居の中は社殿前細長く広い。酢とは珍しい地名だが、地形的に南北に流れる高時川と東から姉川がここで合流し琵琶湖へ注ぐ中洲であった。洲を酢に字を改めたのだろう。
歴史・由緒等
延喜式神名帳近江国浅井郡14座の一の論社である。崇神天皇の御世天羽槌雄神を勧請し、里人織布を天皇に奉る。天皇嘉し給うて錦織の里の称を下し給い、京極氏が社殿を造営したと伝えている。建部明神という。文化4年に大洪水に遭い多くの社宝、社記が流失した。明治2年大羽神社と改め別社であった建部、八幡の両社を合祀した。本殿は塚状の真上に建られていて古くから大塚さん或は大塚の森と呼んでいる。古くは錦織荘内の七ヶ村が氏子であったが逐次分離し現在は酢のみの氏神となるに至った。明治9年村社に列し同42年神饌幣帛料供進社となる。おこないの奉餅の時唱える「とーよ、とーよ、さらいねんもとーよ」の囃は珍しい。
「滋賀県神社庁」
境内・社叢
古墳といわれている社叢 鳥居・社号標
拝殿 中門・本殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
姉川古戦場跡
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